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自分の居場所の作り方

2013.10.31

母性型実践マネージャー吉本歯科医院の吉本委子です。

 

働いていると職場の人間関係というものがあります。

そんな中で

もし自分が体調が悪くなった時や、のっぴきならない事情ができた時に

自分が職場に出られない時だって、あります。

 

その時に、周囲が「大丈夫よ、サポートするからね」

自分に優しい手を差し伸べてくれるかどうかは、その人の日頃の行いに、よります。

 

こんなに進化したような時代にあっても

つまるところは

そこ

です。

 

あなたが困ったなら助けてあげる

と思ってもらえるかどうか

に尽きます。

 

吉本歯科医院、母性型経営という考え方にのっとって

日々仕事をしています。

いろいろなところでお話をさせて頂く機会があったお陰で

共感していただく方も増え、実際にご自身の会社で実践している

ところもあり、嬉しいなあと思います。

 

なんだか、とっても働く人に優しそうな職場のようなイメージがあります。

そんなイメージが大きくあり、

「従業員にとって優しい」

んでしょう?「うちの会社は違うんです。大事にしてくれないんです」

というお話は耳にたこができるほど、聴きます。

 

私はスタッフが大事です。

毎日顔を合わせる人です。

誰かが暗い顔してたら気になりますし

話を聴きたいと、いつも思います。

 

いまいてくれるスタッフ皆、大事に思えます。

しかし、それは役割をきっちり果たしてくれていると実感しているから、です。

 

逆に言えば、自分の役割を果たさない人には

興味はありません。

関心が、ない。

恐ろしく冷たいと、自分では思います。

役割をちゃんと果たせそうにもない人を絶対に採用しないとも

思っています。

そんな人が一人でもいると

集団の意識は一気にレベルダウンするから、です。

そこだけは、いつだって気をつけています。 

 

例えば、吉本歯科医院の受付松本の話をします。

みなさんによく知っていただいているので松本の話をするのが一番理解していただきやすいかと

思うのです。

 

松本は吉本歯科医院に平成20年2月に入社してくれました。

ねばって、ねばって

理想の旦那様を見つけたという感覚です。

 

求めるものははっきりしていましたし

こんな人がいたら素敵だろうなあとイメージしていた通りの

人がやってきてくれました。

 

まずは想像するって大事です。

私はいつだって、先に想像がぶわ~っと膨らむんです。

こうなってこうなって

ああなってこうなって

わあ、いいなあ素敵だろうなあ

って、どんどん膨らむ

現実は、一切関係なく

勝手に想像してしまうんです。

 

思い切り膨らましておくと

数年後には6割近くそうなっているので

やはり、思い切り想像を膨らませるのは悪いことではありません。

 

歯科の知識もなく

真っ白な状態で入ってきた松本は

そこから着実に信用を積み上げました。

決して派手な応対ではありません。

過剰なサービスもありません。

過剰な笑顔もありません。

とってもニュートラルで落ち着いています。

そこが、いいんです。

そこが、私はとても好き。好みです。

過剰なことは、長くは続きません。

淡々と、日々レベルの高い対応ができる、ということは価値あることです。

 

吉本歯科医院は、日々の診療での工程が恐ろしく複雑で

治療内容も、一般的な医院さんとはまったく違います。

自由診療の範疇が大きく、患者さんに説明を求められる機会はとても多いです。

 

松本は

知らないことは、知らないので教えて下さい

といつだってメモを片手に勉強してきました。

院長への質問量ははんぱではありません。

知らないと、困る

知らないと、答えられない

知らないと、次へ進まない

という緊張感から、です。

 

この意識を持てるかどうかも

素地です。

素地の中に素直な心があるかどうか、です。

 

一番のびないのは、知らないけれども、自己流で勝手にやる

ということです。

教えて下さい。

という姿勢があればいくらでも吸収できることが、

つまらない意地や個人的感情のために素直になれない人は

意外にも多いです。

 

どんな腹がたったって

どんなに理不尽だと思ったって

素直が絶対に得です

 

そうやって松本はひとつのレベルをクリアし

まや上のレベルへとどんどん上がっていくのです。

 

自分のレベルが上がっているなあ

と実感できるのはどこでしょう?

 

それは

周囲が自然に自分をサポートしてくれるようになった時

です。

 

たとえば

自分は急病で早退しないといけなくなった

たとえば

家族に何かありすぐに帰らなくちゃいけなくなった

そういう時の周囲の対応です。

 

みんなが優しく手を差し伸べてくれるかどうか

それは日頃の行いです。

信頼貯金の預金残高によります。

 

積み重ねていない人には

きついです。

人は厳しいです。

そういうものです。

どういう一年一年をその人との関係で積み重ねてきたか

どういう一年一年をその会社の中で過ごしてきたか

10人同じようにいたとしても

預金残高には大きく差があるのです。

そしてそれは何年かたった時にはっきりわかるんです。

 

助けてもらえなかった

ひどい仕打ちをされた

そこで周囲を責めてもいけないんです。

信頼貯金を積み立ててこなかったツケがまわってきているんです。

 

一度、この人のやる仕事は信頼できる

この人は信頼できる受付だ

 

というように認知させてしまえば、

少々のわがままが通っていったり

自分の好きなやり方で仕事をできるようになってくる

んです。

だから、自分の居場所が職場の中にでき

上司に認められ

同僚し信頼され

という関係は勝手にできていきます。

 

どこの会社にもこういう人がいます。

その理由はこういうことです。

 

のびのびとやりたいように仕事をする

ことができるのは誰だって理想です。

そういう環境を自分が作っていくんだ

という意識が大事です。

 

自分の居場所は会社が提供してくれるものだと勘違いしている人っています。

自分の居場所は作るんです。

自分が、自分の役割を果たすことで作るんです。

与えられるもの、与えられるべきだ

と思っている人は、これからの時代はしんどくなっていきます。

 

組織はどんどん厳しくきつくなります。

サラリーマンであれば雇用を生涯にわたってまもってくれるという

終身雇用はもう通用しなくなってきます。

 

組織に余裕がなくなってきたから、です。

時代は変わってます。

非正規雇用が35%を超えている時代です。

さらに増えていくんだそうです。

日本人の半数が非正規雇用になってしまう時代がやってくるかもしれません。

そうなると夫婦だって体験です。

結婚したら安定なんていうことはもはやなくなります。

 

男性であっても正社員は雇わないという時代が

当たりまえという世の中になってきます。

 

日本は解雇規制が厳しいので

一度正社員にするとよほどの理由がないと解雇できません。

 

がゆえに、これから人を雇う会社は大手も中小も

正規よりは非正規をどんどん増やしていきつつあり

実際に周囲を見回してもこの地方であってもそなりつつあります。

 

 

どんどんどんどん変化しているんです。

10年会社を続かせることがどれほど大変なことか

ということを小さくても組織を運営していたらわかります。

だから、必死で勉強したり、あの手この手で

生き抜こうとするのです。

 

今はそういう時代です。

安定している

なんてことは実際にはありえなく

私達はいつだって変化の波の上で上がったり下がったりしています。

関係だって変化していきます。

ずっと安定している

ずっと止まっている

と思い込んでいたとしたなら

それは考え方のミスです。

 

人は認められ

信頼されることを実感できると

内面は勝手に満たされます

 

自分自身の中身はこうやって満たすんです。

こういう順番です。

 

 

自分が請け負っている役割は何なのか?

ここをしっかり自覚することから、です。

私でいえば

子供達にとっては母であり

親にとっては娘であり

姑舅にとっては嫁であり

主人にとっては妻であり

職場においてはマネージャーであり

患者さんから見れば相談窓口であり

また、あらゆる所属する場面においての自分の役割というものもあります。

 

その役割を果たすには

どうしたらいいのか?

を考えていけばやるべきことははっきりしていきます。

あらゆる役割を持っているので

八方美人どころでは追いつきません。

そこで、義務感を持ったらしんどくなります。

 

「役割を果たさなきゃあ」はあ・・・・とため息まじりに義務感を持ってしまうと

しんどくなります。

そうではなく徹底的に自分の役割を演じきればいいんです。

 

母の時は母をやる

そこに没頭

職場でマネージャーしている時はマネージャーの役割を徹底的にやる

そこに没頭

そうやってどの役割も演じきっていくんです。

 

役割だけをはたせばいいなんて

なんだか人間性や、感情を無視しているようで冷たい

と感じることがあるかもしれませんが、

 

実際に役割を忠実に果たさない人と一緒にいると

トラブルしか、ありません。

どこか遠くかなたに素晴らしい自分がいて

その素晴らしい自分を世界は認めてくれない

と思い込んでいるんです。

それを総称して、「子供」と言います。

子供って、こんな感じです。

子供の特権ですが、大人になってそれを持ち越していると

周囲と衝突は絶えません。

 

役割をちゃんと果たす人はやはり役割をちゃんと果たす人同士と

友達になります。

役割を果たさずに文句ばかりを言っている人は、やはり同じく役割を果たさない人としか

つるむことはできません。

波調が同調しちゃうんです。

これはもうしょうがないことなんです。

 

役割があり、それをちゃんと果たす

その繰り返しが、自分自身の充実になり、その延長線上に

「幸せ」があります。

 

幸せという状態は

「今、幸せかなあ?」なんてことを考えなくてもいいほど

何かに熱中している時のことをさします。

 

自分は相手にとって必要とされる存在かどうか?

こう考えると自分の役割は明確になってきます。

 

きっちり役割を果たす

それだけが

人との関係を作ってくれるんです。

 

役割をきっちり果たしている

そしてその仕事ぶりが

周囲にも圧倒的に認知されている

もちろん上司にも

となった時、はじめて

信頼関係ができるのです。

 

関係って、そういうものです。

職場での関係を出しましたが

夫婦でも、友達でも同じです。

 

相手にとって自分はどうか?

です。

本当の自分と出会いたい

なんてわけわかんない言葉がありますが

本当の自分にはもうすでに出会っています。

 

具体的な役割をちゃんと果たしているかどうか

を見てみればはっきりわかります。

 

人は自分が想っていることしか、できません。

 

何ひとつ役割を果たさず

それでもって、どこか遠いかなたに本当の自分があると思い込んでいる人

私の潜在能力はまだ眠っていてまだ発揮されていないだけだと思い込んでいる人

そんなものはどこにも、ありません。

 

そんなことを考えるより今すぐ

自分のすべき役割を徹底的に果たしていったほうがはやいのです。

よほど内面が充実してきて、幸福感に満たされていくんです。

 

 

どんな場においても

「あなたいないと困る」

「あなたに助けてもらいたい」

「あなたと一緒にいると成長できる」

と周囲の人に認知させたなら、

自分の内面はいつだって満たされます。

溢れるエネルギーのようにわいてきます。

 

何ひとつ提供せずに

自分を助けて欲しい

自分を認めて欲しい

 

これは無理な話です。

 

20歳過ぎたらすべて自分の責任です。

どんな過去があろうと、乗り越えていく人もいましす、立ち止まっている人もいます。

 

内面を充実させて満たしていくのは

精神論ではありません。

ましては宗教のような救いを求める世界でもない。

もっと具体です。

 

今日私がやるべきこと

果たすべきことを

箇条書きにしてクリアしていくことです。

 

足を使って動くこと

できない仕事があるなら教えてもらいにいくこと

人に会って教えてもらうのなら電話をしてお願いして会いにいくこと

本を読んで知識を入れること

です。

 

楽しいことを追い求めていたって

楽しいには到達しません。

楽しいや

面白い

は自分が動いている過程に感じることです。

 

先に

面白いこと

楽しいことを求めてしまうと

もう楽しさは消えちゃうんです。

 

 

頭の中でどんなに考えたって

何も変わりません。

動いている人にしか見えない世界ってあります。

 

動いているというのは

今この自分の役割を果たすべく動いている

ということです。

 

当院の受付、松本はこうやって自分の役割を果たし

周囲に上司に信頼を認知させました。

 

吉本歯科医院のいまいてくれるスタッフは皆こういう順番です。

 

歯科衛生士には歯科衛生士の役割があります。

歯科医師には歯科医師の役割があります。

カウンセラーには、マネージャーには、受付には。それぞれまったく違う役割があります。

 

そしてその役割をそれぞれがそれぞれのポジションで果たしきるから

チームがスムーズに動くのです。

ここで、一人がことをするとチームは乱れます。

乱れると、乱した人は阻害されます。

そういうものです。

乱さないように周囲をよくよく察知していないといけません。

 

 

職場の人間関係でもめるのは

世の常です。

だれそれとだれそれが仲がいい気が合う合わない

こういったことは

役割を果たす

ということを決めるだけで解決です。

 

組織は

役割を果たさない人間はいらない

とはっきり示すことは大事です。

 

ただ単に、仲良しクラブを作ってしまうと

すぐにもめます。

子供はすぐにもめますよね?

あの子が嫌いこの子が嫌い

なかまはずれにしたしない

子供はすぐにこうなります。

 

「あなたがいてくれないと困るんだ」

と心底困られる存在に、

一日も早く

それが自分の居場所の作り方です。

 

他人は誰も与えてくれません。

誰かが与えてくれた居場所など、居心地が悪いのが相場です。

居場所は自分で作るんだ

とまずは決めることです。

 

自分の手持ち時間は限られています。

その残り時間を居心地のいい居場所で過ごすのか

居心地の悪い場所で過ごすのかは

自分で決めるんです。

 

誰も強制しません。

 

いえることは、

ひとつの場所で自分の居場所を作り上げることができた人は

その他のシーンでも応用がきく

ということです。

だから人間は面白いんです。

そういう意味では

どんなに外に着飾るより、どんなにモノをもつより

自分の中身を鍛えていったほうがよほど

将来不安は消えます。

 

もし、松本が他の会社に行ったとしても(離しませんが)

彼女は同じように信頼を勝ち取り

自分の居場所を築いていくでしょう。

 

他のスタッフ達も

同じくそうなっていくと思います。

 

今できていることは、明日もできます。

今できていないことは、明日になってもできないんです。

 

ひとつの場所で信頼を勝ち得た人は

みんながその人を欲しいんです。

役割を果たさない人は、誰も欲しくないんです。

 

一点集中

常にリクルートされたくなる人になろうよ、なってやろうよと

思って吉本歯科医院のスタッフには接しています。

 

居場所は作るんです。自分で。

母か、先輩か、人生のモデルか

2013.10.24

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母性型実践マネージャー吉本歯科医院の吉本委子です

先日、母がある会の記念講演に呼んで頂き講話をする機会がありました。

私もひさしぶりに付いていって舞台そでから、じっと聴いていました。

子供の頃はよくこうやって母にくっついていろんな仕事場に行ってました。

 

人に迷惑をかけない

仕事中に「お母さ~ん」ってまとわりつかない

というルールだけ守っていればどこだって連れていってもらえました。

 

お陰で全国つつうらうらいろんな場所に行くことができました。

平日なら学校を休んでまで付いていっていました。

 

今では私は母親なので

「学校を休ませるなんて!」と

思ったりもするのですが、

なんでも体験したほうがいいかな、と思うので

意外に休ませて連れて行ってます。

(院長は露骨に嫌がります)

 

1時間ちょっとの講演を舞台そでで聴きながら

子供の時の記憶が蘇りました。

 

私はずっと仕事をしている母のもとで育ったのですが

今思い返せば

だから、今の自分があるのかなあと

思います。

 

母は自分のやっていることにいつも夢中で

楽しそうで

たぶん、子供のことも愛しているけれど

独自の世界を持っていて

いつも「今、夢中になってること」

とか

「こんな人に会ってね」

という話を

ばら色の顔しながら

ときどき脚色も加えつつ

子供である私に熱く語ってました。

 

面白かった時代、というのも背景にあるとしても

毎日、それはそれは好きなことやって

それが仕事になって

好奇心のままに、いろんな企画を作ったり

ワクワクしてるんだろうなあってのが

伝染してくるような感じが当たりまえでした。

 

父と大喧嘩をしながらも

いざ、仕事に行くと、スパッと切り替わり

やっぱりイキイキして見えました。

飲むのが仕事だ~なんてよく言っていた

一般サラリーマンだった父は、自分で仕事を起こして

自分で動いて、楽しそうにやってる母のことはどうにもこうにも

理解できなかったようです。

 

母は無理して気持ちを切替えよう

としていたのではなく

勝手に切り替わっていたんだと、思います。

 

今でこそ

人は人からうけた暗示によって自分のセルフイメージが決められる

ということを知ったりしますが

子供時代には何ひとつわかりません。

 

幸運にも

私は一番子供にとって影響力のある母親から

マイナスになるような暗示を一切受けなかった

というにはラッキーだったと思います。

 

私が10歳くらいの時に

「ともちゃん、努力逆転の法則ってあるのよ」

なんて言われた記憶もあり、

頑張りなさい

なんていわれたことも、ありません。

頑張ってしゃかりになればなるほど

うまくいかない

というもので、

ワクワクした心のままに熱中して動いていたら

勝手にいい感じのところまでできちゃった

という感じです。

 

そこには暗い努力や忍耐は皆無です。

 

もっとこうしなさい

あなたのためよ

あなたのために頑張らなきゃ

とも、言われた記憶はありません。

 

娘に関心があまりなかったというのもあるかもしれませんが

それは、ラッキーだったと、思います。

 

私も、できるだけ子供には押し付けがましいことは言わないようにしていますが

イライラしている時や不安になった時には

はっと気が付くと言ってます。

 

 

「あなたのためよ・・」

 

といってる時の自分の心をのぞいてみると

それは100%

私のため、です。

 

すぐに気が付いて訂正するのですが

子供がちゃんと勉強してくれないと、わたしが、困るんです。

この私が。

なぜって、恥ずかしいし、将来ちゃんと学校に行ってもらわらないと困るし

と、私が思っているんです。

 

それだけ。

 

これって、ありがちですが

職場でもよくあります。

上司が部下に

あなたのためを思って、こう言ってる

というのは

上司の機嫌が悪い時です

上司自身が自分に自信がない時です。

 

誰かに自分の考えを押し付けている時

それは自分に対して怒っているんです。

 

そういうカラクリです。

 

70歳ちかい母ですが、

老けたなあ

とか

しんどそうだなあ

とか

小さいなあ

とか

そう感じることはほとんどなく

たまに会うといろんな話ができて

私は実は一番刺激を受ける存在です。

 

親子の会話ではない

ようなことを

たぶん話しています。

 

そんな私の母と一番の仲良しは実はうちの

院長です。

一番心を開いているかも、しれません。

2人で話していると何時間でも議論?話をしています。

 

不思議な関係です。

 

せっかちな私に対して

母は対話重視型です。

5時間話をじっくり聴いて、最後の5分で少しアドバイスする

という姿を横でずっと見てきました。

 

このじっくり人の話を聞く

ということが私には忍耐です。

 

先に、結論を言って

解決策はこう!だからこうしたらいい!

ときつく決め付け言い切ってしまうのが常です。

 

こういう私を尊重しながらも

「まあ、せっかちねえ」

とかいいながら、批判もしません。

 

母がここ10年ほどずっといい続けていることに

傾聴する

対話が大事

ということがあります。

 

実は私の苦手な部分であり

最大のトレーニングです。

 

人が話すのを聞くより

自分が話すほうが好き

 

結論のない話をダラダラされると

イライラしてくる

 

というのはどう考えても男性思考ですね。

時々、オヤジ化している自分にはたと気が付きます。

 

ただ、子供の頃から私は母には全肯定されてきました。

何をしたって、全肯定。

 

小さなことでも、

「すごいねえ~こんなことができるなんて天才!!」

お調子者で、飽き性だったのですが

「エンターテイメントで、切り替えがはやいのね」

 

しょうもないなあ

と思うような小さなことでも

1000倍くらいにして膨らまして感激して驚いてくれます。

 

今でもその癖は同じで

私が何か言うと

「へえ~~~!!!それはすごいわねえ!!」

とイスがひっくりかえりそうなほど

驚いてくれます。

 

面白いでしょ?

 

そんな母の癖が伝染しているせいか

私は何でもリアクションが大きいんです。

オーバーすぎ

とか

過剰反応しすぎ

とか

言われますが

気に入ってるのでいいのです。

 

他人がどういおうと

そんなことより自分の時間の方が大事と

すんなり思えてしまうのは

環境遺伝だと、思ってます。

 

さらに、

気持ちの切り替えが恐ろしく速いんです。

これは若き時代の恋愛時代に培ったのか

それとも環境遺伝なのか?

思いをひきづれないので

人によっては

「お前は冷たい」「お前は男みたい」

と言われたことも、あります。

それでも、傷つかないということは

その時点で、もう違うところに意識が飛んでいっちゃうんです。

 

動き癖がついているのは

母からの環境遺伝です。

 

動いていることが、好き。快感。

慣性の法則ですね。

動いている物体は、そのまま動き続ける

という現象ですが私はその通りだなあと思います。

 

動いている物体はそのまま動き続ける

としたら

止まっている物体は、そのまま止まり続ける

という真理があります。

 

常に動いているのが当たりまえなら

その人はそのまま動きぞくけるし

常に止まっている人は

そのまま止まり続けるんです。

 

今日、止まっている

ということは

明日もあさってもやっぱりとまっています

 

車は一度止めると次に動かす時

エネルギーがいります。

人間もです。

少しでもアクセルふかしてじわじわ動いていたら

エネルギーはそんなにかかりません。

 

 

だから、私はエンジンがかかった人を見たら

もう絶対止まらないでって、言います。

いったんかかったならば、それはラッキーです。

死ぬまでその火を止めない気でいる

くらいでちょうどいいです。

 

 

止まっている時は

頭の中は忙しいです。

何が忙しいって、考えてもしょうがないことを

グルグルまわって忙しいのです。

 

人の不安は消せません。

消すのではなく

その不安が気にならないように、その不安に目をむける時間がないほど

今やってることに熱中癖をつけるほうが、保険をたくさんかけるより

よほど生産的です。

 

不安は不安を呼びますが

動いている時は

不安ではないんです。

 

そういうことを、環境遺伝として

私は母に伝染してもらってるんだな、と今になって思います。

 

過去の自分をひきずるエネルギーは意外にも大きいものです。

自分はダメなんだ

自分は何もできないんだ

自分は愛されてないんだ

そうやって思い込んでいるものを払拭するには

かなりのエネルギーを要します。

 

子供には最高の暗示を入れてあげたいと思います。

それはわが子だけでなく

会った子供会った子供に同じです。

吉本歯科医院にお越しになられる患者さんにも同じです。

 

人は言われたとおりの人になっていくんです。

良い暗示をシャワーのように!

 

 

・・・・と、こんな話も講演の中でしていました。 

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 お客さん?をステージに上がってもらいました

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11月母性型勉強会

2013.10.24

11月の母性型勉強会のお知らせ

日時:11月13日(水)午後6時半~9時

場所:高松国際ホテル

会費:3,000円(食事代込み)

申込みはhttp://boseinomonosashi.com/study/index.html

話す力が人生を変える 講演

2013.10.19

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記念講演で「話す力が人生を変える」をテーマにお話させて頂きました。

会場内には香川県中の私学の先生方約600人。

さすが、先生方!聞き上手でいらっしゃいました。

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あまりに大きな会場だったので、壇上から降りてきてしまいました。

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ステージに上がってくださった先生!ありがとうございました

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すぐやる人

2013.10.16

母性型実践マネージャー吉本歯科医院の吉本委子です。

昨日、勉強会にも来てくれている一人の女性から

メールがきました。

彼女は、ある会社の社長さんです。

最近、本気になって仕事を会社をやってやろうと、しています。

 

今までは、自分が主体になって

自分の責任で

外に発信していく、なんて考えたこともなかったという彼女が

思い切って

発信してみた、

書いてみた

表現してみた

のです。

 

読んだ文章は、もうびっくり。

これを読んだお客さんが、「ああ、いい感じの人だなあ、会ってみたいなあ」

と思ってしまうような素の自分をそのまま出し

いいことも

悪いことも

すべてオープンに出していこうという姿勢が

グングン出ています。

 

 

「私はそういうの苦手だから」

「私はできない」

そう言ってたのに、

本当は全然違ってました。

 

本人の

「私はできないから

ほど、当てにならないものは、ありません。

自己評価と他人が見る私はほとんど違ってます。

他人が見る自分よりも

自分の評価が高すぎるも考え物ですが

他人が見る自分よりも

自分の評価が恐ろしく低い方がよほど事態は重症です。

 

血圧と同じで

高いよりも、低い方が問題あり、なんです。

高め設定で

少しずつ、周囲に批判されながら

フラットなところまで落ち着いてくる

ぐらいで今はちょうどいいのでは?

と思います。

特に女性に限っては本当にそう、思います。

 

彼女はきっと、これから

どんどん面白くなってあの手この手で

発信をしていくことと思います。

彼女の仕事と彼女の感じることはすべてつながっているので

彼女が感じて発信することがそのまま

会社の発展に即繋がると私は思います。

 

超男社会の業界の中で

柔らかい、お母さんのような視点で

一人の生活者として

子供を育てているお母さんとして

働くお母さんとして

そして一人の女性として

そんな目線で

発信していけることは

これはもう武器です。

 

みんな彼女の会社にやってくるんじゃないか

とさえ、私は思います。

 

わくわくしてきちゃいました。

 

 

素直に、

なんでも

すぐに

やってみる

やってみたら

面白かった

結構やれることに気が付いた

そういうスーッとした心に妙なひっかかりのない人は

本当になんでもうまくいくんです。

 

素直って、何が何でも得なんですね。

「ええ~~~でもおお」

よりも

「うん、わかった、やってみる」

の方が

よほど人生はお得。

だって、そんな人には誰だって可愛くて

なんでもしてあげたくなってしまいますもの。

 

だいたい、

大人になって

他人の意見を聞き入れて自分でやってみる

なんて至難の技なんです。

自我ががありますし

自分の子供だって言うことなんて聞きはしません。

 

そんな中で

素直に「やってみる」とすぐやれちゃうというのは

もう才能も才能です。

 

彼女を見てて

私も素直になろ・・・と、反省反省。

 

人のいいところは、すぐいただきです。

 

さて、

初めてすることは

誰だってできません。

 

できなくて当たりまえ

緊張して当たりまえ

 

でも、やってみたら

できた

 

でもなぜできないと、先に思い込んでしまうのか?

それは、やらないから

に尽きます。

 

彼女はすぐ、やった

だから、すぐに「できない」という思い込みの殻は破れた

成長というのは、「できない」と思い込んでいる殻を中からぶちやぶり

新しい体験を体の中に実感として叩き込んでしみこませていくものです。

だから、一度できたら

次も「すぐに、やっちゃえばいいんだ」と思えてしまう

あんがいあっさりしたものなのです。

彼女のように。

 

 

行動を起こそうよ

よ言われても

何度も勉強に行っても

なぜできないのか?

それは

「失敗したら、ダメ

というハチャメチャなプログラミングのせいです。

 

失敗したら、恥ずかしい

と自分が思い込んでいるだけ、です。

自分が、というところが、ミソです

誰も、批判はしません。

 

「あんなことやっちゃって、恥ずかしいよね~」

という人はいるかもしれない、。

でも、外野には感じることができない

「やってみた」人の快感は本人にしか味わえません。

だから、いいんです。

 

恥ずかしがってるうちに、いのちなんてあっという間に終わるんです。

明日交通事故で死ぬかもしれないし

うっかりかびんが落ちてきて死ぬかも、しれないんです。

自分だけが、そんなことはありえないと思っていたって

そんなことがありえないわけは、ないんです。

 

私も2度ほど本気で死にかけましたが

息ができなくて意識が遠のく瞬間に

「え?こんなにあっけなく死んじゃう?もしかして私死んじゃう?」

意識したのだけは記憶にあります。

 

死にかけた水難事故の時の周囲は

「あの時は、本当に葬式の段取りまで一気に考えたわよ~」

と大騒ぎでしたが

当の本人は

もし死んでしまっていたら

そんなことさえ、わかりません。

 

あっけないもの

なのかもしれません。

ひょっとしたら。

 

自分だけが

自分の生とか死とかを誇大妄想しているだけで

ただ生まれて死んでいくのは

誰でも共通事項です。

 

 

死にそうな瞬間に

「ああああ・・・あの時やっておいたらあああ・・・:」と思っても

遅いんです。

 

だから

恥ずかしいから、できない

というのは

とっととやめたほうがいい。

 

いつやるの?

今でしょう

って、いいですよね。

私大好き。

 

告白したい子がいて

もじもじしてたら即座に言います。

「いつ、言うの?」

今でしょ、今。

 

自分が恥ずかしがってるほど

他人は自分に注目していないし

人はみな、自分しか、みていないし、関心はないのです。

だから、誰か名前もわからない誰か、一般世間の目を気にすることなど

ないんです。

 

みんなが自分を見ているような気がするのは

ただの気のせいで

誰も、見てないのです。

だから、大丈夫。

 

初めてやることは、誰だってできない

できないから、やることは面白い

初めてのことなんだから、最初からうまくいかなくって当たりまえ

というプログラムを自分で持っていれば

 

何か新しいことをするときに

「あ、まずはやってみたらいいんだ」

とすっと思えます。

 

初めてのことを

やってる最中や

やった後は

渦中にいるので

心は静かです。

必死なので、静かです。

頭が集中しているんです。

夢中なのです。

 

それらの体験は自分だけの細胞にしみこんで自分だけが

体験していることなので

周囲にはわかりっこありません。

だから、面白いし

また、その瞬間に

自分をわかって欲しい

なんていう幻想から解放されるので

やっぱり、面白いのです。

 

やってみよう

と思った時に

間髪入れずにやってみれるかどうか

やってみよう

の後に

「でも、できないかもしれない」

「面倒くさいし」

という思いが頭の中をよぎったら

動くことは、できません。

 

そもそも、

何をするにも

「面倒くさいし」

と思ってしまうようであれば

一生懸命努力してする必要も、ないのです。

 

自分が自分の時間を使ってやろうとすることに

「面倒臭い」と思うようであれば

それはもう生きてることそもそもが面倒臭いのと同じなので

何をしたって

面白いことは起こりません。

 

 

面白くない面白くない

とグルグル渦巻いているうちに

あっけなく自分の持ち時間は終わるんです。

 

 

「面倒くさい」と思ってしまうようなことならば

やる必要はないし

他に「よっしゃ、じゃあ私がやる」という人は山ほどいます。

だから、しなくても、いいのです。

 

何が何でも、頑張る必要はないし

誰もが誰も、成長しなくちゃいけないなんてことも

幻想です。

そんな必要はどこにもなく

 

無理して

何かをしようとする必要なんてどこにも、ありません。

誰も怒りませんし、

誰もお尻を叩きもしません。

 

ちゃんと生きよう

本気で生きよう

と誰もが思う必要はなく

誰かが冷えて醒めていたって、無理に熱くさせる必要も、ないんです。

 

そんなにみんな暇じゃないし

心配してくれるのは

おやきょうだいくらいですが、

20歳過ぎたら

自分の人生は自分でどうにかしないと

いけないんです。

 

 

 「よっし、やろう!」って気持ちが湧きあがってきた瞬間に

なんでもとにかくやっておくようにすると

後が楽です。

続くか続かないかは別の才能として

まずはやってみる

ってすごく大事だと私は思ってます。

 

組織の中にいても

やる人と

やらない人は

すぐにわかれます。

やる人とやらない人は

噛み合わないから、です

 

やる人は黙々と自分のやるべきことを

淡々とやってます。

 

やらない人はやらない

 

真ん中はありません。

 

時々やるけど、時々やらない

のは、ないんです。

 

何かを発信することも

人前で話すことも

何か新しいことをするにも

初めてすることは

できないんです。

やったことがないんだから、今の時点で

できないのは、当たりまえなんです。

 

だから、不安がどんどんわいてくるし

緊張もするし

ドキまぎして逃げたくなるし

 

湧き上がる不安を消すためには

止まったらダメ、なんです。

えいやあっとやってしまえば、いいんです。

そして一度やったら

それを黙々と続ける

続けていると、できるようになるんです。

 

この繰り返しです。

 

最初の「えいやあっ」は

これだけはもう、度胸と愛嬌です(^^:)

 

パンジージャンプで飛び降りちゃう感覚です。

岩の崖から、水の中に飛び降りちゃう感覚です。

 

もし、できなかったら

私なら、背中から突き飛ばしてもらってもいいと思います。

 

でも、他人に突き飛ばしてもらうよりも

自分で「えいやあ」と飛び込んだほうが

次からの「えいやあ」のハードルは恐ろしく低くなってます。

 

素敵な彼女の第一歩にしみじみ、感動。

今日は母性型勉強会です。

ぜひ、話を聞いてみよう。

http://www.boseinomonosashi.com

 

先に飛び降りた人から、

どんどん殻を破ってってるように、見えます。

アクはでるもの

2013.10.08

母性型実践マネージャー吉本歯科医院の吉本委子です。

 

さっき、昼休みに受付の松本と話をしながら

過去の話を笑い話にできちゃってる自分に気が付きました。

 

「いや~、昔は大変だったわ~。

今でこそ、ここに出勤してくるのは楽しいけど

昔はここに来るのもいや。

誰一人、苦手だったし、昔のスタッフは途中からきた私の存在は

うっとおしいきわまりない存在だったろうし

それが伝わってる毎日だったものね~~」

 

日々戦場だったと思い込んでいた時期からは

想像もできませんでした。

 

目の前で

うんうんとマリア様のような顔していつも話を聞いてくれる松本を前に

こういう人に会えちゃうんだからなあ、

すごいなあ私って、とまた自我自賛。

 

意識を変えた途端に、松本が入ってきてくれたんだもの。

神様は全てお見通しです。

 

何の話からか

私がこの吉本歯科医院に入って、息子を産んだ頃の

毎日が戦場だった時の頃を思い出しました。

 

周囲は敵だらけだわ

と思っていたし

体はしんどいわ

仕事はしないといけないと思っているわ

主人には腹が立つわ・・・

もうずっと内心怒ってたのですが

なにぶん、天性の八方美人のこの気質は

人に会うとニコニコしていたので

ストレスはたまる一方だったのです。

 

それらのストレスの原因のもと

それは

「ちゃんとしてなきゃいけない」

と思い込んでいた

に尽きます。

 

結婚して4年目に脳の中のどこかがぷちっと切れて

「いい人やめた」

「思ったようにやろう」

「ダメならリセットしよ」

とスイッチを切替えてかえてからは

水を得た魚のように

私は生き返りました。

 

人間、我慢はいけません。

「こうでなくてはいけない自分」でがんじがらめにしていくと

必ず身心に破綻をきたすのです。

 

今は、自分が一目見て気に入って

大好きになって採用!!と覚悟を決めた人ばかりなので

愛情を注ぐことに、「惜しい」とは思いません。

 

自分が決めている、覚悟をしている

というところがミソだと、思うんです。

誰にも文句を言えない。

そして、この人と決めたからには

この人の中に何かを注ぎこむことは惜しくないのです。

 

すきでもなく

覚悟もなく

そんな人に、エネルギーを注ぐことはとても惜しく

けちな私は、1円だって、惜しい。

そして時間も惜しい。

 

何かをあげたくなる

何かをしてあげたくなる

引き上げたくなる

引き出したくなる

 

そうであれば

自分が注ぐ時間も、エネルギーもすべて構築されていくような気がして

損した気分にならなくていいからです。

 

動物占いの

「どっしりとした猿」の私は

こんなことを考えてしまうんです。

猿っぽいちっちゃさが、いいでしょ??

 

今、私はとても生きてて居心地がいいのは

誰一人として私が「いい人」だとは思ってないから、です。

「いい人」を強要してくる人も、いない。

 

院長だって、思ってません。たぶん。

話し尽くしていると、お互いに負の部分も呑み込めてくるのです。

 

スタッフもたぶん、知ってます。

今、頻繁によく会っている友人はみんな知ってます。

知ってもらえるように情報公開しました、先に。

 

八方美人なマネージャー。

人の話を聴くのが大事と言いながら

実はあんまり真剣に聴けていないマネージャー。

思いつきでモノをよくモノをいう人

 

院長をたててるようで

バックヤードで恐ろしい顔して文句いってるのもみんな知ってます。

隠しても聴こえますから。

 

外に行く時はばっちりお化粧していくけど

中にいる時は、背中からパンツが見えていますと指摘されることも。

患者さんにはニコニコしながら

30秒後には電話口で、怒ってる声。

 

みんな口に出してこそ言いませんが

私のアラなどというものは

恐ろしく見抜いており、

「こういう人」と知ってます。

知ってて、ちゃんと付き合い方を心得ているので

大人です。

 

 

よく

「あの人は性格がいい」

という言葉を使いますが

性格がいい=好き

には、なりません。

 

 

何かをやろうとした時には、いい人ばかりではいられないんです。

裏も表もあり

舞台があり楽屋がある。

どんなに表面で素晴らしく飾っていても

365度あらゆる方向に向けて

24時間いい人であり続ける

ということは、あり得ません。

 

たまに会う

遠くの素敵な人

は、ずっと自分の中で「素敵ないい人」であり続けることは

できますが

しかし、その像は自分が勝手に

「そうあって欲しい像」を作りあげ、あてはめているだけ。

365日一緒にて、24時間知ってて

「素敵すぎる!!」と思わせることは不可能です。

遠い素敵な人であれば、短時間なので

そう見せることはできます。

 

遠くの人はよく見える

のです。

 

万人にとっていい人である

ということは

もっといえば

「どうでもいい人」ということです。

 

あの人どう思う?

「え。ふつう」

といわれたら、これは

まったくもって無関心ということです。

 

どうせなら

「大嫌い」

のが、まだましです。

 

大嫌いは、

嫌いな何かがあるということなので

何かをきっかけに大好きに転換する可能性は大です。

実際に私は

大嫌い!!と言ってる心のうちには

「恐ろしく好き」の可能性があります。

 

「これはいいことだから、やらなくては

なんて頭で考えてやってることなんて

本心からしたいことじゃないので

そのうち病気になります。

 

無理にやることは

なんでも無理がくるんです。

 

接遇でもなんでも

本人が嬉しくってやってることは

人を振り向かせることが、できるんです。

「こうすることがいいことだから、こうしなくてはいけない」

なんて無理をしてやってると

あの人、笑顔だけど目が笑ってないよね

ということになっちゃうんです。

 

この身体から湧き上がってくるものに

のっかっていけば

自然と言葉は出るし

表情は溢れるのです。

 

あの人は

いい人とか

悪い人とか

一人の人間に対して

いろんな人がいろんな評価をします。

 

これはある意味あたってます。

評価はその都度、違うんです。

 

 

私たちは、関わる人によって

悪魔の顔にもなるし

天使の顔にもなる。

 

関係性の中で常に変化しています。

その中での評価です。

 

誰に対してもずっと死ぬまでいい人なんことはありえないし

ずっと悪い人ということも、ありえない。

 

 

どんどんどんどん変化していくものです

 

自分の中にも

悪い人の部分はあるし、意地悪な部分はあるし、

いい人の部分はあるし、天使ちゃんみたいな部分もある

そして、それは関わる人によって

自分の中のどこかが引き出されるんです。

 

そう考えているので

誰のことも、全部いい人とは思っていないし

全部悪い人とも思っていません。

引き出されるものによって、出てくる顔が違う

と思っています。

相手が悪魔を出してくるなら

その時の私の中に悪魔なるものが、あるのです。

これ、事実です。

近しい関係なら、本当に露骨に表れます。

 

 

できれば

悪魔で意地悪な私よりも

天使で優しい私を引き出してくれる関係がたくさんある方が

幸せです。

 

ご主人は奥さんの影響を受け

奥さんはご主人の影響を受け

さらにそこに主人に愛人がいれば愛人の影響を受け

愛人は主人の影響を受け

その愛人にまた愛人がいれば・・・と影響は連鎖します。

絶妙なバランスで、成立していたりもするので

面白いのです。

いいとか、悪いとかの論は別にして

水面下で起こっていることは

パーフェクトに矛盾がないのです。

 

 

そうかんがえると

私達は、常に関わっている人によって

いいようにも、悪いようにも転ぶわけです。

 

いいものを持っているのに

ずっと引き出されないままの関係性

 

鬼のような部分だけを引き出され続ける関係性

 

誰とどんな関係を結ぶか

ということは

結婚相手を決めるより

就職先を決めるより

大事な問題です。

 

自分をどこに置くか

自分の居場所をどこにするか

誰と関わるか

どんな人と絡んでいくか

こういうことがちゃんと皮膚感覚でつかめているって

女性には特に大事なことだと、私は思います。

 

また、女性なら、掴みやすいんです。

本当に。

頭で考えるより

本当に拒否している時は

毛穴がキュッと閉じちゃう感覚がするからです。

いい関係の中にいると、毛穴だってリラックスするのです。

 

「こうあるべき論」を押し付けられると

窮屈になります。

しかし、昔の私はスタッフにそうやって押し付けていました。

なぜって、私自身が本当に「そうでなくてはいけないんだ」と思い込んでいたから、です。

私もしんどい、みんなもしんどい。

そして空気も最悪。

過ちは、体験してみて初めて、わかります。

 

倫理や道徳は

押し付けるべきものでは、ありません。

感謝も、同じ。

 

強要された途端に純粋な気持ちが一気に消えちゃうんです。

 

「湧き上がってくるまで待ってよ」

「もう少しだったのに・・」

ということはよくあるんです。

 

 

そうではなく

優しいものやあったかいものに触れた時に

その気持ちを10倍にも20倍にもオーバーリアクションでもって

増幅させて伝染させるんです。

だから、感動するし、

自分も嬉しいんです。

 

接遇の原点はそこにあると、思います。

 

そういうことをちゃんとわかってくれる松本が

吉本歯科医院の受付にいてくれて

これはすごいことだと、私は毎日思ってます。

 

競争競争が当たりまえになってくると

人が人を信じることは難しくなってきます。

隣にいる人のことも、100%信じることができない

メールでは心を開くけど

生身で会ってずっと一緒にいるとしんどくなる

というのは普通になってきました。

 

しかし、私は思うのですが

人はやはり人を信じたくてしょうがないし

愛したくてしょうがない

愛し愛され信じ信じられる関係性が欲しくて欲しくてしょうがない

 

でも、簡単には得られない

だから、孤独になるし

不安になるし

人を簡単に信じることができなくなってしまう

という連鎖に入りがちです。

 

自分を思い切ってボーンと出していく

さらけていくと

周囲は意外にも自分を受け入れてくれるものです。

もちろん、自然淘汰の法則により

去っていく人もいますが

それはそれで、いいのです。

 

歪んだ顔して、無理して何かを頑張るより

少々アクが強くても、そのアクをドーンと出しちゃったほうが

いいんです。

 

アクが強いと嫌われますが

好きになってくれる人も出てきます。

そのアクがすき、という人にもひょっこり出会えたりします。

 

だから、アクもOKです。

 

表があって裏もある

楽屋裏だってある、

誰しもそうなので、

人の裏をわざわざ引っ張り出して暴くようなことは

素敵ではありません。

 

わかってるけど、

あえて言わない

なんて人は最高に素敵です。

 

そういう人が周囲にいてくれると

どんどん居心地がよくなってくるんです。

 

母性型、奥が深く

私は勉強するたびに、深みにはまってます。

もっと底なしに惹き込まれたい

女性活性化研修

2013.10.08

seminor.jpg

女性活性化研修5回目、思いがけないサプライズに涙。

育った家はたぶん変でした

2013.10.04

母性型実践マネージャー吉本歯科医院の吉本委子です。

亡くなった父の家の遺品をかたずけていると

手書きの電話帳が出てきました。

 

よしこ

みき

ゆきこ

さちこ

さより

あんな

・・・・・・・・・・・

マジックでなぜか名前だけ、書いてます。

店の名前も忘れずに

なんて素敵な遺品。笑うしか、ありません。

 

後ろの方には

ゴルフ仲間や

飲み仲間

会社の元同僚の電話

 

圧倒的に多いには「ゆきこ」やら「よしこ」やら「さちこ」やら

夜の蝶達の名前ばかりです。

 

私の両親は放送局に勤めていました。

古きよき時代だったらしく

デジタルなんてものはなく、まだまだテープがくるくる回ってる時代です。

 

女の人のお尻を追いかけるのが大好きな父

仕事が面白くてしょうがない母

 

テレビを見るのが大好きで騒がしいのが大好きな父

本を読むのが大好きで深く考え静かな時間が大好きな母

 

なんだってこんな2人が結婚したのか??

 

なぜ??

 

私はこの質問をよく母に投げました。

「ねえねえ、なんでなん??」

 

うっかり、だったのよ~

 

だそうです。。。

 

他の人にプロポーズされていたんだけど

ある日、風邪引いて下宿で一人寝込んでいた時

父がいきなり自転車でやってきて

母を後ろに乗せて病院に連れていってくれたんだそう。

 

それで、落ちたんだそうです。

 

漫画みたいです。

 

うっかり、結婚して、私ができたのかあ。。。と子供心にショックだったのですが

必ずこの話をすると母はかならず

「でも、あのパパと結婚したから、あなたとお兄ちゃんができたんだから

やっぱりこれでよかったのよ~あはは」

といつもフォローが入っていましたが、真意はわかりません。

 

人は10歳までに育った記憶で

人生のベースが決まると、言います。

 

この頃に無意識に刷り込まれた意識や環境が

大人になっても、自分を無意識にコントロールしてしまったり

人間関係を構築する上で

大きく影響を及ぼしてしまうんだそうです。

 

そりゃあそうだろうなあ

と思います。

 

ちなみに

私の育った環境はどこか変だったと思います。

しかし、その変さが、大人になって今40歳くらいで

面白いことになってます。

 

人が普通にこだわるようなことに、私はこだわらなかったり

人が大事だろうと思っていることが、私にはどうでもよく感じられたり

人が大事に守っているようなことが、私にはどっちでもよかったり

 

するのは、

きっとこの時期に刷り込まれた感覚だろうかと、今になって思うのです。

 

20歳の頃、付き合っていた彼氏の浮気が発覚しました。

当時学生だった私は夏休みで帰省していました。

帰省先から一日はやく戻って驚かせてやろうと、彼の部屋をたずねると

別の女の子が私のエプロン来て料理を作っていました。

 

「誰?」

と聞くと

あわててドアの外に私を押し出し

「あ、妹(汗)」

と即座に答える彼。

 

「そうなんや~」(そんなわけないでしょっ)

 

煮えくりかえりながら電車に乗って地元の母に電話すると

「あら~、ともちゃん、20年も生きててそんなことで怒っちゃう?ママ情けない・・」

と真顔で答えられ

帰って父に言うと

「男は浮気するものやしな

ま、健康な男なら浮気するものや

そんな男を見抜けんのも20歳にもなって情けない・・・ええ女にならんと、男は浮気するぞ~~」

 

と、双方に情けない

連発されました。

 

今でもですが、中学の頃からの友人も

「あんたの負け、やね」「はい、魅力負け」

「はやい話が、あんたよりあの子の方がよかったいうことや」

と一喝。

 

そういう環境が当たりまえでした。

私の周りに

「それは、ひどい!!」

「なんて許せない男!!」

なんて共感してくれる人は一人もいなかったことが

面白いでしょう?

 

両親はよく喧嘩もしていたのですが

なにせ当時のテレビ局。

派手なことが大好きで、毎週のように、多いときは週末には必ず

夜の蝶やら会社のおじさんたちが、家にきて、

狭い部屋でワイワイしていました。

 

夜の蝶と仲良くなってしまう母の姿も

何の違和感もなく、

こんなものだ、と思っていました。

 

夜の蝶は

面白いほど、父やおじさんたちを言葉で虜にし

「よしよし、なんでもしてあげようわい」(伊予弁)

と、お財布の紐をどれほど緩めさせていたか。

 

小学生でしたが

私は一緒にマージャンしていましたし

寝るのが12時回っても

何も言わない父と母。

 

普通は勉強しなさい

とか

夜は9時に寝なさい

とか

いろいろあるんでしょうが

私は一切なく。

 

毎週末になると

狐と狸のばかし合い大作戦(男と女のばかしあい)を

見ているようでした。

 

父は母に執着がすごく

母は当時とても仕事が充実していて

フリーで活動しだした頃で

母の活躍をみんなで応援する会

という意味不明なパーティーを開いてもらったりしていました。

華やかなシャンデリアの下で大きな花束をたくさんもらって

100人近い人に拍手してもらって

今思えばバブルな時代です。

 

見栄っ張りな父はそんな母のパーティーでは嬉しそうに

自慢気なそぶりでしたが

家に帰ると嫉妬まるだしでした。

 

あの◯◯はどういう関係なんだ!!

と露骨に嫉妬まるだし。

 

母は「いい加減にしてよ~。何もないわよ~」

と本当にうるさがっていました。

 

私が中学生の頃

部活で帰るのが8時頃になった私が自転車で帰ってくると

マンションの植木で隠れている風だけど隠れられていない父の頭を発見。

 

「なんしよん?」

 

父は

「しっ」と黙れの合図

 

私も自転車を置いて慌てて植木の後ろに隠れ

 

「もうすぐママが帰ってくる」

 

「・・・え?張ってるわけ?」

 

その時たまたま仕事で一緒になったある男性に車で送ってもらった母が到着。

 

「お疲れ様でした。ありがとうございました」

とご機嫌に降りてきた母。

 

ネタを掴んだ、とばかりの父。

 

結局その日は妄想は誤解ということに自分で気づき

落ち着いたのですが、こんなことは

しょっちゅうありました。

 

嫉妬は女性の専売特許ではありません。

男も嫉妬に狂うのです。

 

父は母よりも精神が子供だったのと

厳しく育てられ愛情に飢えた人だったので

母が仕事だろうが、他の人だろうが、自分以外の何かに

夢中になることがたまらなくさみしかったんだと、思います。

成長したい母

成長したくない父

噛み合うはずは、ありません。

 

 

私が子供時代の我が家には

父の友人が、自分の愛人を連れてよく遊びにきていました。

人がたくさん来た日には

きまって

しゃぶしゃぶか

すき焼き。

 

銀色の着物を着たり、金色の着物を着たりして

恐ろしく香水のいい香りを放つ女性でした。

ちいちゃんという名前は覚えています。

(ちいちゃんは今、出家しちゃいました)

 

おじさんの仕事は順風満帆、家庭も円満だったようです。

しかし、ある時から

ちいちゃんは来なくなりました。

おじさんだけが一人で暗い顔してくるようになり

中学生にもなった私は

「あ、別れたんかなあ」

と察しました。

 

 

その当たりから、

そのおじさんの会社は、トラブル続き、

父からも仕事がうまくいかないらしいと聞くようになりました。

奥さんともうまくいっていたのがうまくいかなくなり

結局離婚。

 

ちいちゃんの存在があったことで

おじさんは上手にガス抜きして

社長としてのパワーを得て、

仕事も家庭もバランスよくやっていたんだと、思います。

 

夫婦喧嘩ばかりしていたのに

ご主人に彼女ができた途端に急に家庭内が円満になった

ということだって、実際あるんです。

 

愛人がいることで

成立していた夫婦

を何組も見ました。

 

そこから学んだこと

男の人というものは

健康であれば誰しも

奥さんがいてもそれ以外に複数の(多ければ多いほど良いのか?)

女性と仲良くなりたい

好きだといわれたい

賞賛を受けたい

という本能があるんだと、思っています。

 

女性と男性では

好きになり方がきっと、違うんです。

 

きれいごとだけを教えてもらったって

将来役には、立ちません。

 

浮気をされたらどうするのか?

結婚しても好きな人ができたらどうするのか?

感謝しろと言われても感謝できないのはどうしたらいいのか?

結婚した相手がどうしようもないバイオレンスだったらどうするのか?

冷め切った相手との生活を続けないといけないのか?

いきなり旦那さんが気持ち悪くなったらどうするのか???

 

などなど、

家の中で起こっていることを

表に出すことはないがゆえに

自分の心の中でもやもやしている

グレーな部分を吐き出す場が、今はあまりありません。

 

 

どんなに仲の良い友達であっても

家の仲の恥はなかなか表には出せないものです。

だって、恥だと、思っているんですから。

本当は恥でも何でもないんですが

やはり、日本では、まだ「恥」なのです。

 

本来私達は

人間なので

「あ~。嫌だ~~!!」

「好きだ~~」

「気持ちいい~~」

みたいな感情を持って生きています。

 

この体から出てきたナマの感情の上に

後から理論を乗っけているだけ、です。

 

ゆえに

感情を押し殺すと

女性は特にいけません。

 

本当に病気になってしまうのです。

 

感情を押し殺して

本当に病気になっちゃった人や

パートナーに「こうであるべき」を押し付けて病気にしちゃった人を

たくさん見てきました。

 

女性は左脳(論理脳)と右脳(感性脳)をつなぐパイプが

とっても太いんですって。

あまりにも自分の気持ちをないがしろに押し殺し

「こうでなければならない」という倫理道徳を働かせてしまうと

精神に異常をきたします。

 

女性特有の

ずぶとさ

開き直り度は

このへんが上手にバランスよく働いてくれているから

いいのです。

 

 

2013年あたり、

私は、ますます女性も

「こうでなくてはならない自分」

「女だから、こうでなくてはならない自分」

「母だから、こうでなくてはならない自分」

という縄で

自分自身をキュウキュウに縛り付けていると、思うんです。

 

自分を縛るものは

誰でもありません。

勝手に、自分で自分がややこしく縛り上げているんです。

 

自分が「こうでなくてはいけない」と当たりまえのように

思い込んでいることって

意外に手離してもいいようなことなんです。

 

自分の人生を死ぬまで生き尽くしてやるぞ~~

くらいの執念があれば

少々アクがつよくたって

才能が偏っていたって

異常な癖があったって

私はOKだと、思いますし、その方が魅力的です。

 

香川県は性犯罪もトップクラスだそうです。

さらに、家庭内暴力

夫婦の暴力もとっても多いんだそうです。

 

抑圧されたものは

爆発するのです。

 

えらい先生が

お酒を飲んで女の人のお尻を触ってつかまってしまうなんて

悲しすぎます。

 

普段から、お尻を触っても

「いやあね、◯◯ちゃんたら(ハート)」くらいの関係性を

いたるところに作っておく方向にエネルギーを注ぐほうが

よほど人生はハッピーです。

 

セクハラ、という言葉は

嫌いな相手から触られた時に使います。

好きな相手にはいくらでも触れて欲しいのが女性の本質です。

 

あまりにも窮屈になってしまったので

きっとこのあたりで、時代は大きく変わると思います。

メイイッパイ窮屈になったら、次は反対側に大きくベクトルが方向転換するのです。

 

タテマエを乗り越え

心の奥のグレーをぜんぶピンク色に変化させていくのが

私達の母性型勉強会です。

 

なんだか、しんどいなあ、どっか~んと変身したいなあ

なんて思ったらぜひ母性型勉強会へお越し下さいね。

 

女性はもっと笑っていないといけないんです。

女の人が笑っている国は元気です。

9月母性型勉強会 女性は愛されてはじめて満たされる

2013.09.19

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母性型実践マネージャー 吉本歯科医院の吉本委子です

9月18日水曜日、母性型勉強会でした。

昨日ははじめて参加して下さった素敵な女性の一言で

一気にテーマが絞られました。

愛、愛、愛、です。

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その女性は、関西から高松にご主人の転勤で引越してこられたばかり。

歯医者さんを探していたご主人が吉本歯科医院を見つけてくださいました。

奥様は「吉本歯科医院ってどんなとこ??」と私どものホームページをのぞいて下さいました。

そこで、見つけた母性型勉強会。

 

母性・・・・

という言葉に何かピンときたそうです。

そしてこうしてお越し下さり

私達に出会って下さいました。

 

あるテーマでみんなで意見を出し合っていた時に彼女はポーンと

言いました。

 

「そこに愛があれば、伝わっていくんです」

 

一同、一気に惹き込まれました。

 

愛、愛、愛。

 

愛って、何でしょう?

「ねえ、ねえ、愛って何?」

と子供に問われた時

私は何と答えるだろう

 

みんな頭の中で「愛って何だ?」と考えたと思うんです。その時。

どこかで聞いたようなお仕着せの言葉ではなく

五臓六腑にしみわたるような

納得できる答え、ありますか?

 

愛といえば、

私は若い頃には

異性に対して、「愛」という言葉を使っていました。

大人になると

友人や、そして親になると、わが子に対して

「愛」ということを考えるようになりました。

 

これだけ愛してるんだから

これだけ愛してるから、言ってるの

これだけ愛してるんだから、こうしてよ、こうして欲しい・・・

 

愛と執着は紙一重

そして、愛と嫉妬も紙一重

 

あなたのためを思って・・・

という事を言っている時

それは間違いなく

あなたのためではなく、

自分のため、です。

 

あなたのため

という大義名分を振りかざし

相手を自分の思う通りにコントロールしようとすること

それさえも、

あなたを思う愛ゆえに・・と

自分で思い込んでいることだって、あります。

 

愛してるんだから

こんなに思っているんだから

自分の思うようにふるまって欲しい、自分にもっとかまって欲しいと

するのは

もはや、愛ではなく

執着です。

 

そして、それは重い。

最初は心地よかった愛が

だんだんと面倒臭くなったり、また、離れたくなってしまったり

してしまいます。

 

自分の思うように、期待通りに

相手が動いてくれないと、

許せなくなってしまうことも

愛しているのに、と勘違いしてしまいがちです。

 

人の心の中は

コントロールすることはできません。

マインドコントロールされてしまうじゃないか、ということもありますが

自分がこんなに愛してるんだから

あなたも同じだけ愛してよ、ということは

苦しくなる一方です。

 

夫であっても妻であっても

ましてや自分の子供でさえも

相手の胸の中に手を差し込み

心の方向をぎゅっと違うチャンネルに変えることは

できないんです。

したくても、できない。

 

でも、したい。

どうにかして、心が欲しい

だからこそ、今はこんなに

心理学や

人の心を掴む方法やら

あらゆるテクニックが公開されているんだと思います。

 

それほどまでにして

人は自分のことを愛して欲しいし

見て欲しい

関心をもって欲しいんです。

 

子供の時のことを

思い出します。

小学生の頃、転校生だった私は

顔見知りの友達もおらず

最初に声をかけてくれた女の子と

仲良くなりました。

行きも帰りも一緒で、「ずっと親友ね」と言ってました。

 

ある時、

その女の子が私ではないほかの女の子と

仲良くなりました。

3人で遊ぶようになりました。

3人で遊びながらもその2人がとても仲良さそうに見えました。

その時、ものすごく寂しい気持ちになったことと

はじめて、「なんだか嫌な感じ」と自分の中で思ったことを

強烈に覚えています。

 

嫉妬です。

そこから、中学、高校、大学と大きくなるにつれ

同じような気持ちを体験することになりました。

そして、逆のことも、ありました。

 

嫉妬したり、嫉妬されたり。

あんなに仲良かったのに、急に重く感じるようになったり

距離感を取ることが本当に難しく

こういうことがやっと落ち着いたのが社会人になってから、です。

 

友達同士でも、そういうことが起こるのですが

異性との関係になるとますます、です。

相手への執着

相手からの執着

独占欲との戦い

自分の心をコントロールすることが

本当に大変です。

特に恋愛になると

執着する心との戦いです。

それは相手と戦うのではなく

戦ってるのは自分自身です。

 

嫉妬や、執着する心を抑えるには

ある程度、いろんな修羅場を体験し

恥ずかしい思いも何度もし、

ある時は、思い切り、愛をぶつけてみたが、どん引きされた

とか、

押し付けすぎて、相手との関係がダメになった

だとか、

執着しすぎてブラックホールのような暗闇に落ち込んでしまった

だとかの体験も

必要なのかなあ、と今は思います。

 

本当に苦しかったことや

恥ずかしかったことは

骨の髄までしみこんでいるので

そこから学ぶものは確かにあり

確かに今、肥しになっているのが実感できるから、です。

 

相手に求めて求めて

相手に押し付けて押し付けて

愛をちょうだいちょうだいと訴えて

全部、ダメで

八方ふさがりになった時に

はじめて

「あ、自分かあ・・・

ということに初めて気が付くという

ことってあると思うんです。

 

なので、とことん落ち込むのは

あり、ですし、

それは絶対肥しになるんです。

 

最初からすんなり、いい方向へ、いければいいのですが

あの目指す方向へ行くために

思い切り逆の方向へ徹底的に走る

ということも、ありです。

逆方向に徹底的に思うままにやった体験が

「あ、違うなあ、こっちは」

ということを

心底わからせてくれるから、です。

 

愛は

もらおう、欲しい、頂戴

と思ってるうちには

絶対に入ってこないものです。

実際、私、そうでした。

 

そうではなく

まったく真逆に切り替え

「自分が愛そう、先に愛を伝えよう

とした時に

不思議と入ってくるものだったんです。

 

宗教のようですが

私は本当にそうでした。

 

それほど、愛が欲しかったし

愛してるよ、大好きだよ、可愛いよ、よくやってるよ

と言われたい、愛して欲しい子供でした。

今でも、何ひとつ変わってません。

 

でも、それは私だけでなく

そうではないでしょうか?

 

誰だって、欲しい。

自分を徹底的に愛してくれる存在が欲しい。

自分をどんなことがあっても味方してくれる存在が欲しい。

どんな時でも、変わらず愛を注いでくれる存在が欲しい。

 

実際は、注いでもらっているから

こうして元気に生きてるのですが

それをすぐに忘れてしまうのが

人間というものです。

 

昨日初参加の女性は

こう言いました。

「女性は愛されて満たされるんです。

男性にたくさん愛されて、誉められると、どんどん愛が満ちてきて

体中にエネルギーが充満するんです」

 

目をキラキラさせてこう、言いました。

 

それを聞いて私はまたスイッチ全開。

「そうだ、今、愛を伝えきらなきゃ」

と、いてもたってもいられなく。。。

 

そうはいっても、そんなに熱くなっても、ねえ。。。

と私がそんな風に思わなくなったのは

やはり、父がなくなった時から、です。

あれ?こんなにあっけなくいなくなっちゃうわけ?

あれ?まだ何も話してないよ、何も言ってないよ

というほど、あっけなく、逝ってしまいました。

 

父は松山に一人で住んでいたので

毎日電話をしていました。

しかし、その日に限っては、前日に電話でイライラ文句を言われ

腹が立っていたせいか、電話をしなかったんです。

 

その日の明け方、病院から連絡があり

脳梗塞で倒れて、叔母が家を訪ねたら階段から落ちて

血まみれで横たわっていたと。

 

一命は取り留めましたが

その時から、父は口も聞けず、半身はほとんど動かず

脳梗塞から1年半であっけなく逝ってしまいました。

 

結局、言いたかった「ありがとう」は

言えずしまい

お墓の前で言っても本当に届いているのかどうなのか。

お父さんはみててくれますよ

とか

お父さんはちゃんとわかってるよ

とか

優しい人はいろんなことを言ってくれるけれど

やはり、

面と向かって顔を見て

言えたほうがよかったんです。

 

そういえてたら

もっとすっきり嬉しく幸せな気持ちだったと思うんです。

 

だから、遅かったんです。

時すでに遅しだったんです。

 

失ってからでは

遅すぎるんだ、ということを

初めて知りました。

 

後悔ですが、

後悔は消えません。

きっと、死ぬまで消えない。

 

 

よくテレビで、後悔のないように・・・とこのパターンの映像が

流されますが、私にとっては他人事でした。

 

こんなに悔やむんだ

失ってから、はじめて知ったこともたくさんあり

そんなことなら、もっと言っててよ、と腹が立ちました。

 

失ってから気がついても

遅いんです。

 

今、愛する人がいるのなら

今、この瞬間に伝えないといけないんです。

 

素敵なことをしている人を見つけたら

今、この瞬間に伝えきらないといけないんです。

 

人を誉める

人のいいところを

伝える

ということも

同じです。

 

人はあっけなく、

あっちの世界、どこに行くのかはわかりませんが

いきなりいなくなってしまうんです。

 

それが

自分かもしれないし

自分に関わる大事な人かもしれない。

 

愛は、自分が相手に伝えよう、伝えきろうと

思って何かアクションを起こしている時に

自分の中から溢れでてくるものだと思います。

 

もらうものではなく

きっと自家発電で湧き上がってくるものです

 

湧き上がるためのスイッチは

先に、愛を、注ぐ

無条件で

ということだと思います。

 

 

◯◯してくれるなら、愛してあげる

ではなく

無条件で、「愛を注ぐ」です。

 

こうやって書いている今も

私はなにやら湧き上がってくるのを

感じます。

 

自分から、どんどん放出され枯渇されないもの

だというイメージを心の中にいつも

描いておこうと、思います。

 

そう思っていると

現実に出てくるものです。

 

相手にこうして欲しい

相手はこうでないといけない

という義務感や押し付けでなく

自然にわきあがってくるもの、というのが

ポイントだと、思います。

 

自然と湧き上がってきた時に起こる副産物としては

人に優しくなれる

ということに尽きます。

 

人をどうこうしようと思わない

人の欠点も気にならない

人の長所ばかりがきになってしょうがない

という自分になってしまうんです。

 

悩み多き時代と言われますが

もうこのあたりで、

悩むのはもうやーめた、と自分で決心する意志は大事です。

 

「人に相談にのってもらおう」

「人に癒してもらおう」

「誰かに助けて欲しい」

「愛が欲しい・・」

というチャンネルを真逆に切替えてしまうんです。

 

自分で。

力技で。

それは具体的には

意識して、そういう言葉癖をやめる

ということに尽きます。

 

そうして切替えた新しいチャンネルは

「人の悩みを受けよう」

「人に元気をあげよう」

「人に笑顔を先にあげよう」

「先に優しくしよう」

という方向です。

 

会う人会う人に

愛を注いでいると

忙しくて自分の悩みを考えている暇が脳ミソには

なくなるんです。

 

そっちにエネルギーを注いでいるうちに

気が付いたら

「あれ?最近なんだか、悩んだり落ち込んだりしてないなあ。

時間が過ぎるのがやたらはやいなあ」

という自分に気が付くんです。

 

そうやっていい

サイクルに入っていくと

いつだって愛が枯渇しない人でいられそうじゃないですか。

 

 

欲しい

欲しい

欲しい

ちょうだいよ

ねえ、もっとちょうだいよ

という道はもうトンネルをふさぎ

自分にはもうメイイッパイの愛が満たされていて

放出されるのを待っている

と思い込んでいます。

 

そんなことを

毎日毎日ずっと思っていたら

本当にそうなるんです。

 

人間はそういうふうにできていると

思います。

本来、枯渇なんてしていないんです。

潤沢に溢れているのを

気が付いていないだけ、だったんです。

 

昨日の勉強会

理屈からはじまって

理屈じゃない世界に見事連れていってもらえた気分です。

 

今朝、昨日の参加した方から

私にもメールが来ていました。

「昨日の勉強会、はじめて五臓六腑に染み渡った」

「愛ですよ、私が気が付いたのは、愛でした!」

なんだか、それぞれに

自分の中にあるものに、ビシバシ気が付いていったようです。

 

勉強会が終ってから

ロビーで立ち話し。

これが、一番長かった。

でも、それだけ、まだ話し足りないというこの雰囲気が快感です。

 

次回勉強会は10月16日(水)午後6時半~

詳細はまたホームページにてご連絡しますね。

 

さあ、勉強会の様子をご覧下さいね。 

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